当院の耳より情報をお届けします。
奥村理事長のつぶやきも必見!
ただ今iPadと格闘中!
音声認識システムのSiriが面白い。
「僕は誰?」と聞くと、ナビと同じく合成された女性の声質で、
「あなたがどなたかわかりません!教えて下さい」と返してくる。
「バカか!」と言い返すと「そうですか・・・それでもここで待っています」。
何度もバカを繰り返すと「それは残念です」「でも、でも・・・・・」「嫌わないでください」だって・・・・・・・・
iPadに向かってしゃべり続ける私がバカなのか・・・・・・・(-_-;)。
夏の終わりに進入経路は不明のまま、コオロギが2~3日おきに診察室を飛び跳ねていた。
始めのうちは捕獲して外に放っていたが、これも何かの“縁”と飼うことにした。
今は2匹、コロ助と呼んでいたが、最近コロ子であることが判明した。
井上先生が郷里に帰省した際のお土産に頂いた。
「お地蔵さん」は菩薩の一尊で如来となるべく修行中の身であり、広く信仰の対象となっている。
斯く言う私は、初詣には八百万の神にご加護を願い、お盆にはご先祖様を迎い入れ、
クリスマスの電飾に眼を止めながらイブには何とはなしの浮かれ気分に興じる、
「アッラー」とまでは唱えはしないご都合主義的神仏垂迹多神信望者である。
「善」と「悪」、「是」と「非」の2項対立の思惟過程に馴染めない良く言えば中庸の、
穿った見方をすればファジーな精神構造をもつ身にとって絶対神の存在は受け入れ難い。
しかしながら、運命が小さな偶然の積み重ねであるとすればその邂逅は、
「めぐりあわせ」という言葉の言質に潜む自らの願望を離れた“何らかの意志”の存在を考えずにはいられない。
“どうしようもない事”に抗うのが科学の進歩なら、
“どうしようもない事”に対する畏敬とそれを受け入れる手立てが「祈り」となる。
この陶物に心の安寧を感ずるのも自らに織り込まれた「祈り」のDNAがそうさせているのかもしれない。